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件名:「台湾の声」【台湾紀行】新店獅仔頭山歩道−隘勇線 【台湾紀行】新店獅仔頭山歩道−隘勇線 作者:西 豊穣 これまで紹介してきた古道は、その最終形態が日本統治時代の台湾 総督府の原住民に対する「理蕃道路」だったものですが、今回は多 少成り立ちの異なる古道を紹介します。 今回の記事タイトル冒頭の新店、即ち台北県新店市は現時点では台 北地区MRT(メトロ台北)の最南の駅になります。 <新店市中の二つの獅頭山> 台北県は、所謂大台北の山好きな人々に広範で多様な山歩きのコー スを提供しています。その為、台北県に入るとすぐ気付くのが、適 宜敷設されたチョコレート色の小振りな「歩道」の道路標識です。 歩道とは現代の日本語とは少し異なり、遊歩道とか登山道を意味し ます。今回の記事のタイトルはその道路標識上の記載からそのまま 借りてきたものです。実際の道路標識上は「獅仔頭山歩道(隘勇線)」 で、わざわざ括弧付きで「隘勇線」の文字が印刷されています。実 は、新店市中には別に「獅頭山歩道」の道路標識もあり、私も隘勇 線を襲った方の歩道を目指し新店市内に入った時、「獅頭山歩道」 の標識を追い掛けてしまい非常に混乱したのですが、市販の地図を 見ても、新店市内には二つの「獅頭山」が存在することになってい ます。一つは市街地内であり、もう一つは同県三峡鎮との境界に近 い山中、即ち今回の記事の対象である獅仔頭山です。台湾で公共の 道路標識に今や歴史用語になった「隘勇線」の表示があるのは恐ら くこの台北県新店市だけではないかと思うのですが、二つの獅頭山 を区別する為にわざわざ「隘勇線」の文字を書き加えた可能性もあ ります。 又、記事のタイトルに道路標識上には存在しない「新店」の文字を 加えたのは、台湾には獅頭山、或いは獅仔頭山の名前を持つ山、若 しくは山号としている廟は多いからです。その中でも最も知られて いるのは、苗栗県三湾郷にある国家風景区に指定された場所で、読 者の中にも足を延ばされた方があるのではないかと思います。 <隘勇線(あいゆうせん)> 以前「台湾の声」に投稿した記事の中で簡単な隘勇線の説明を加え たことがあります。その際の説明を繰り返すと、隘勇線とは清代の 「開山撫蕃」下に於ける平地人と原住民族の居住区を区別する為の 隘(勇)制を引き継いだもので、日本時代は原住民族に対する包囲 線・封鎖線へと変遷、物理的には山中百五十メートル幅で草木を払 い、道路を通し鉄条網を張り巡らし、更にその鉄条網に電流を流し 原住民の「隔離」を図ったものです。私の理解では、現在台湾で古 道と呼ばれているものの大部分の最終形態が日本時代の原住民族に 対する「理蕃道路」だったというものなのですが、実際は「理蕃道 路」の初期形態は隘勇線だったはずだとも考えていました。 台湾のネット上で公開されている山行記録を見ていると、現在でも 隘勇線を中心に山歩きをしている方がいるのですが、それらの山行 記録を掻き集めてみても、では具体的に隘勇線が何処からどう延長 されていったのかが全然見えてきません。当時、現在の宜蘭市から 西に向かい新店市辺りから南下しそのまま中央山脈西側を貫き、墾 丁国家公園のある恒春半島一帯まで「蕃界」(一般住民と所謂生蕃 居住地との境界線)が引かれその東側を蕃地とていました。この蕃 界そのものが隘勇線で、その総延長は五百余キロだという解説を見 たことがありますが、では現在はどのような形になっているのか、 というのが私の素朴な疑問でした。 そんな時、昨年暮れに発刊された台湾唯一の山岳雑誌「台湾山岳」 の別冊を見ていたら、四本の隘勇線が地図上に示されており、環烏 来山脊と称される台北県の山々を中心とした稜線伝いの山行コース が実はそのまま当時の隘勇線の一部であることが判りました。これ らの山々は台北県烏来郷を囲むようなイメージで考えればよく、通 常は烏来タイヤル族、正式にはスコレック群マレパ系タイヤル族の 居住地に当るようです。それら四本の隘勇線は各々名前が付けられ ていますが、総称して烏来隘勇線と説明されています。その山行ガ イドの最初に紹介されているのが今回紹介する獅仔頭山です。 <新店獅仔頭山> 獅仔頭山は新店市街の南西に位置し、新店市内を流れる新店渓沿の 省道9号甲線(註1)を烏来温泉方面へ少しだけ南下し、新店渓を渡 り西側山中へ入る自動車道を辿るか、新店市街から直接山中に入る 自動車道を辿る方法がありますが、山中を走る道路は複雑なので予 め台北市、新店市の登山同好会とか登山用品店に問い合わせるのが よいかと思います。私の場合、9号甲線を南下、屈尺から入りまし た。登山口は二箇所あり、獅子の頭側から入る方法と獅子の尻尾側 から入る方法があります。どちらの登山口へも新店市街から一時間 半程度で辿れます。 大台北の山行愛好家の間では新店獅仔頭山は是非登るべき一座に数 えられているそうです。一つは、新店市の最高峰であること、二つ 目は台北圏の山では数少ない一等三角点を有すること、三つ目は 「台湾小百岳」(註2)に選定されていることです。加えて、彼ら がもう一つ挙げている理由は、獅子の頭部に相当する山塊の斜面に 設けられた木製階段の長さと垂直度。なかなかスリルがありますが、 極めて安全ですので恐れる必要はありません。 <緑野史蹟公園> 獅仔頭山の頭側、尻尾側、どちらから入ってもゆっくり散策して二 時間程度で歩き通せます。私が登った時は、あいにくの土砂降り、 それでもマイクロ・バスで乗り付けた登山者一行があり、地元の山 行同好会が募ったツアーに募集した人々だと思うのですが、皆手に 分厚い手作りのパンフレットを持っていました。明らかに獅仔頭山 に纏わる歴史、遺跡を解説してあるのだと思いますが、さすがに大 台北地区だと思いました。高雄地区はこのような文化の香りの高い 山登りがあるかどうか?マイクロ・バスはもう一方の登山口で下山 する一行を待ちます。これが最も簡便な山歩きの方法になります。 登山道の所々に、動植物、遺跡等を紹介した紙をプラスチックでラ ミネートした手作りの案内板が置かれています。その各々に「緑野 史蹟公園」と印刷されているのは、この低山の山中がそのままそっ くり一つの歴史博物館であることを表しています。「土匪洞」(土 匪の隠れ家)、「古戦場」(日本軍と抗日勢力抗争時の塹壕跡)、 「古井戸」は日本の台湾領有初期に於ける日本軍と抗日勢力との抗 争にまつわる遺跡とされています。この為、この登山道を「土匪古 道」と呼ぶ人もいます。更に、隘勇線上に設置された「隘勇監督分 遣所」跡と後述する「防蕃碑」は、台湾総督府に依る原住民に対す る「理蕃」政策初期の代表的な遺跡だと思います。 <獅仔頭防蕃碑> さて、私自身が最初に体験すべき隘勇線として獅仔頭山を選んだの は、前述の山岳雑誌に紹介されていた「防蕃碑」の写真が切掛けで す。「防蕃」という言葉にはそれまで馴染みがなかったのですが、 その後、森丑乃助の講演録(註3)の中の、どのようにして原住民 の間に銃火器が入ったかを語る下りの中で見付けました。 獅子の頭を登り切って獅仔頭三角点に向かわずに南側の稜線を暫く 辿るとちょっとした広場になっており、その広場の隅に「防蕃碑」 は佇んでいました。通常紹介されている碑の写真は碑の裏側(表碑 文に因む犠牲者名が刻まれている)から撮影したものです。これは 碑が立っている場所がちょっとした土手脇にあり碑の正面側は撮影 出来ないからだというのが現地に行ってみて判りました。その碑の 全文は句読点無しの漢文で、高校生程度の漢文の知識ではとても読 めそうにありません。幸い、台湾のネット上で公開されている山行 記録には句読点を施した上で紹介されています。この「防蕃碑」と いう碑名並びに碑文から、日本の台湾領有後の隘勇線の基本的な性 格が読み取れる資料だと思われますので、私の拙い読み下し文で以 下全文を掲載します: 「台湾総督府警視総長正五位 大島久満次ノ篆額(てんがく) 獅仔頭嶺以南ノ平広坑一帯の地、曽(かつ)テ凶蕃狩猟ノ区二シテ 民人輒(すなわ)チ入リ難キ也。明治三十五年十二月、台湾採脳拓 殖合資会社、允准(いんじゅん)ヲ得テ製脳ヲ始メ、此ニ於テ官議 定ニ因リテ隘勇線ヲ拡張シテ之ヲ保護ス。乃(すなわ)チ明クル年 二月一日起工ス。爾来(じらい)榛莽(しんもう)ヲ披(ひら)キ、 巨木ヲ倒シ、高嶺ヲ越エ、深谷ヲ跨ギ、線状ノ蜿蜒(えんえん)ナ ルコト恰(あたか)モ長蛇ノ延ビルガ如クニシテ六里ニ亙(わた) ル。七月二十日ヲ以テ竣工ス。此ノ間ノ董事者ハ深坑庁警務課長永 田網明、景尾支庁雨田勇之、其ノ他警部補五人、巡査五十七人、巡 査補五人、隘勇二百人、他庁ノ応援巡査二十人ナリ。日ヲ閲(けみ) スコト一百七十、風雨二餐宿シ、瘴癘(しょうれい)ハ日二侵シ、 崎嶇(きく)二来往シ、蕃害ハ屡(しばしば)迫リ、終(つい)二 能(よ)ク成ルヲ得タリ。嗚呼(ああ)彼ノ勇進困厄(こんやく) ノ裡(うち)二在リ、戦歿、負傷、或ハ並ビニ死スル者ハ、今日ヲ 親睹(しんど)セザルト雖モ亦(また)其ノ志ヲ遂ゲタリ。故ニ其 ノ職ト姓名ヲ碑陰ニ録シ永ク茲(ここ)ニ誌(しる)スモノナリ。 明治三十六年八月二十日 深坑庁長從六位勲六等 丹野英清撰並ビニ書 <註> 「大島久満次」:第五代佐久間左馬太総督下の民政長官、 神奈川県知事、衆議院議員も歴任、永井荷風の叔父に当る。尚、同 人撰の「枋橋建学碑」が台北県板橋国民小学校に現存する。「榛莽」: 草木の生い茂った様。「允准」:許可。「採脳」・「製脳」:樟脳 生産。「瘴癘」:風土病等。「崎嶇」:道などが険しい様。「親睹」: よく見るの意。 当時の総督府の政策上は、その後「防蕃」が直に「理蕃」に変遷し、 防蕃=隘勇線、理蕃=理蕃道という風に台湾古道の歴史的背景を便 宜的に説明出来ると考えています。物理的には、前者が山々の稜線 を結び、後者は原住民の村々を繋ぐということになります。以前 「台湾の声」で台湾南部の「六亀特別警備道」を紹介したことがあ りますが、獅仔頭山隘勇線を歩いてみて判ったのは、実はこの六亀 の古道は「警備線」と呼ぶべき隘勇線が前身だったのではないかと いうことで、その古道の沿線の案内板で見掛けた隘勇線という説明 は成る程正しかったということです。従って、東海道五十三次の名 を冠したのは当初は駐在所ではなく隘勇監督分遣所に相当するもの だったはずです。 <礦窟捕虜収容所> 最後にもう一つ。これは登山道上ではありませんが、獅仔頭山の二 つの登山口を結ぶ自動車道路を新店市街側に少し下った場所は「礦 窟」という地名で、ここは太平洋戦争中、日本軍に依るシンガポー ル、香港攻略後にイギリス軍・カナダ軍捕虜を移送したとされる収 容所(英文ではKukutsu Prison of War Camp)があった場所で、 2000年に三名の元イギリス兵に拠り記念碑が建てられています。 以上述べてきたように、新店の獅子は、台湾領有初期、「防蕃・理 蕃」政策時期、更に太平洋戦争期という日本の台湾統治時代をつぶ さに見続けてきた生き証人ということになります。 新店獅仔頭山は台北圏からなら日帰りのハイキング・コースで、登 山道は広く、よく整備され誰でも簡便に散策出来る低山です。私が 私淑する楊南郡に「山に入れば台湾が見えてくる」(註4)という 言葉がありますが、そんなささやかな体験が出来るのではないかと 希望します。(終わり) (註1)「省道」は国道に相当するものであるが、交通部公路総局 は未だに省道の呼称を使い続けているので、それに従った。因みに 台湾で「国道」とは高速道路のことである。 (註2)「台湾小百岳」は2003年行政院体育委員会が選定。選定条 件は、山容が特殊で展望が良いこと、交通の便が良く、登山道が整 備されていること、更に、台湾各都市近郊に位置していること、等 であった。因みに、「台湾百岳」の方は1971年、当時の台湾省体育 会山嶽協会(現在の中華民国山岳協会の前身)が標高3,000メート ルを超える山岳の中なら選定。その後の測量の結果、一座だけが 3,000メートルに満たない。 (註3、4)所収されているのは、「幻の人類学者 森丑之助」(楊 南郡著、風響社、2005年7月30日発行)。国家公園管理処の委託研 究事業である楊南郡氏に依る「八通関古道西段・東段調査研究報告」 と「合歓山越嶺古道調査報告」は台湾古道研究の金字塔であり、既 に戦後七十年を経たことを考え合わせると、同氏の研究を越えるも のが今後出て来ることは有り得ない。これら日本人に拠り開鑿され た古道も今は異なる国家となっている為、最早現代の日本人に同程 度の踏査・研究は望むべくもなく、それだけに日本統治時代に光を 当てた同氏の功績は大きく、又貴重である。 編集部註:戦争の名称については、執筆者の用語を尊重した。 西豊穣 ブログ「台湾古道〜台湾の原風景を求めて」 http://taiwan-kodou.seesaa.net 西豊穣 台湾紀行古道シリーズ バックナンバー 2008/01/05 玉山古道−余話 http://www.emaga.com/bn/?2008010008393972008356.3407 2008/01/02 玉山古道(新高山歩道) http://www.emaga.com/bn/?2008010001769565014831.3407 2007/06/16 蘇花古道−3 http://www.emaga.com/bn/?2007060069026465008515.3407 2007/06/15 蘇花古道−2 http://www.emaga.com/bn/?2007060066088784011088.3407 2007/06/14 蘇花古道−1 http://www.emaga.com/bn/?2007060063416681010425.3407 2006/11/26 恒春卑南古道(阿朗伊古道)−3 http://www.emaga.com/bn/?2006110088583432011570.3407 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