このマガジンの他のバックナンバーを見る
今日発行されたマガジンを見る
昨日発行されたマガジンを見る


購読は無料です。購読するには貴方のメールアドレスを入力して下さい。


件名:「台湾の声」【台湾紀行】玉山古道(新高山歩道)

西豊穣 台湾紀行古道シリーズ

玉山古道(新高山歩道)

                    西 豊穣

<玉山とイメージ>

玉山は台湾の最高峰、現在その標高は3,952メートルとされています。日本の台湾統治
時代、富士山(3,776メートル)より高いことが判ってからは、明治天皇に依り「新高
山(にいたかやま)」と命名され日本最高峰として君臨してきた山です。私の手元に
ある昭和8年(1933年)発行の「新高登山地図」(注1)には3,950メートルの表記があ
ります。戦後かなり長い間、玉山の標高は3,997メートルとされていましたので、日本
時代の測量が如何に正確だったかが判ります。

玉山と富士山の大きな違いは、これらの山に実際登った、或いは見たことが有る無し
に拘わらず、富士山の山容が外国人にまでイメージ出来る程に膾炙しているのに対し、
玉山の場合、当の台湾人ですらどんな山容をしているのか固定したイメージが無いこ
とです。

試しに台湾人に紙と鉛筆を渡し、富士山を書いてみて下さいと言えば恐らく誰でも描
けるのに対し、玉山はどんな形をしていますか?と尋ねれば大概の人が答えに窮する
でしょうし、玉山が良く見える嘉義辺りの人に玉山はどれですか?と聞いてもまず答
えられないと思います。台北−高雄間を飛行機で移動する機会(台湾新幹線開通の煽
りで、国際線を利用する以外にこの機会は直に無くなるかもしれない)があれば、隣
に座った台湾人に玉山はどれですか?と試しに聞いてみればよいと思います。標高約2,800メートル付近に位置する玉山に最も近いビジター・センター(塔塔加遊客中心)
を訪れる観光客の間からも、玉山はどこ、どれ?という声がよく聞こえます。戒厳令
下の地理教育の影響(例えば、中国五山は知っているが台湾五嶽は知らない)もある
かもしれませんが、玉山は見る角度によってその山容が千変万化する為、一定のイメ
ージを描きにくいのがその大きな理由だと考えられます。

現在の台湾で玉山を紹介する場合、北峰(日本時代の新高北山、標高3,858メートル、
昭和19年に測候所が設けられ今でも受け継がれています)方面から主峰(日本時代の
新高山)の東側斜面を撮影した写真が通常使われます。これは台湾の玉山愛好家が長
年に渡る観察の結果、玉山のイメージとして最も相応しい岳相という結論に至ったの
であろう思われます。一般の人々にとっては、例えば、新暦の初日の出を見る場所と
しては恐らく台湾中で最も喧騒を極める、阿里山森林鉄道祝山駅傍の展望台からの玉
山山塊の眺めがポピュラーと言えるかもしれませんが、主峰から北峰、南峰(日本時
代の新高南山、標高3,844メートル)に各々延びる吊尾根が余りにも間延びし過ぎて女
性的な山容だと個人的には思います。尤も、遠方から玉山を探し出す場合、この吊尾
根が大きな手掛かりとなります。殆どの場合、見る方向によりこの吊尾根の長さが伸
縮するだけだからです。

<玉山への登山道-タータカ・ルート>

日本時代、新高山への登山道は二本ありました。これは現在も変わりません。現在専
ら利用されているのは、嘉義市を起点とする省道(注2)18号線で阿里山遊楽区を経由
しアクセスする方法で、塔塔加(日本時代のタータカ)ビジター・センターの約1キロ
手前にある上東埔駐車場が登山基地になっています。そこから楠渓林道に入り、林道
途中にある検問所(正式には国家公園警察隊塔塔加小隊)で入山・入園許可証の両方
を提出して、約3キロ弱程進むとタータカ鞍部と通称する登山口に到ります。

鞍部とは実際には玉山前峰(日本時代の新高前山、標高3,239メートル)と麟趾山(標
高2,854メートル)との鞍部のことであり、登山客はまず玉山前峰の山裾に取り付くこ
とになります。駐車場から登山口までの林道は立派な舗装道路で、麟趾山の北側山麓
を巻いており、途中に台湾鉄杉の見事な原生林を観賞出来ますので、この林道だけを
散策する観光客も多いです。

前日に阿里山付近に宿泊、翌日早朝に起きて登山口に至り、初日は標高3,400メートル
にある排雲山荘(日本時代の新高下駐在所跡)を目指します。二日目は玉山頂上で日
の出を観る為に三、四時に起床、頂上に至った後はそのまま下山、昼過ぎには登山口
に戻って来るというのが、大多数の登山客の行程で、片道10キロ強になります。

登山口から玉山頂上に到る現在の登山道と日本時代の登山道はかなり異なっており、
日本時代は前峰の山裾から西峰(日本時代の新高西山、標高3,467メートル)頂上に上
がった後現在の排雲山荘に至っていましたが、現在の登山道は西峰を巻いて拝雲山荘
に至るようになっています。今は、初日に山荘に着いた後、時間と体力に余裕のある
登山客が空身(荷物を背負わないの意)で山荘と西峰山頂(日本時代の祠を復元した
ものが安置されている)を往復するというのが一般的です。

<玉山登山道−八通関ルート>

もう一本は、現在の南投県信義郷の東埔(トンプー)温泉から入り、楽々、対高、観
高、八通関、新高の各駐在所跡を経て主峰と北峰の鞍部へ上がり登頂するルートで、
当初はこの登山道が最初に新高山登山へのルートとして整備された為、主要ルート、
つまり日本アルプス風に言えば「表銀座」だったようです。

各駐在所の遺構は各地点とも僅かですが残存しており、鹿野忠雄の「山と雲と蕃人と」
の前半の下りによく登場する駐在所でありルートです。偶然だったのか、故意だった
のかは判りませんが、登山道が新高山と北山との鞍部に登り詰めた地点の標高は富士
山と同じ標高で、当時の地形図に「富士標高」の表記があり、新高山が日本最高峰で
あることへのこだわりが感じられます。

現在このルートの八通関(はっつうかん)までは通常八通関古道と呼ばれていますが、
従って同時に玉山古道でもあり、以前「台湾の声」で紹介したように、体力に応じ時
間と距離を調整すれば誰でも歩けます。

尚、八通関古道は現在では玉山への登山道というより、大水屈山(だいすいくつざん、
標高3,642メートル)、秀姑巒山(しゅうこらんざん、標高3,805メートル)、マボラ
ス山(現代表記:馬博拉斯山、標高3,765メートル)への登山道として専ら使われてい
ます。理由は単純で、タータカ登山口と玉山頂上との標高差は1,000メートルぐらいし
かありませんが、東埔温泉登山口と玉山頂上との標高差は3,000メートル近くもあるか
らです。

尚、現在この二つのルートへのアクセスを繋いでいる自動車は、西側起点の省道18号
線と東側起点の21号線で、共に塔塔加ビジター・センターが終点、嘉義市内から約95
キロ、玉山国家公園管理処のある南投県水里から約75キロの距離があり、この二本の
省道を併せて新中部横貫道路、通称新中横と呼び、台湾中央山脈を横断する代表的な
山岳自動車道になっています。

因みに、水里の国家公園管理処内には日本時代に建てられた「新高登山口」碑のレプ
リカがあることを、最近知合いの方から教えていただきました。実物は、長い間忘れ
去られていたようですが、竹山、集集方面から走ってくる省道16号線と日月潭から降
りて来る省道21号線の合流地点、南投県の有名な観光スポットである「蛇窯」の近く
に修復され現存していることを確認しました。「新高」の文字が文献等書籍上の書き
物に拠らず、堂々と残っている数少ないケースだと思います。

さて、今回の記事は台湾最高峰玉山の紹介が主要な目的ではなく、叉、玉山は富士山
より高い山なので、「台湾の声」読者に玉山登山を薦めるわけでもありません。あく
まで観る対象としての玉山の紹介と、玉山古道、つまり日本時代に新高山への登山道
として整備された歩道のうち、玉山登山道として現在でも使われている部分ではなく、
読者でも簡便に歩ける古道の紹介が目的です。

<阿里山森林鉄道と玉山登山>

八通関ルートとタータカ・ルートの「表銀座」、「裏銀座」の関係が逆転し、更に今
現在台湾高山の登山道として最も整備・保護・管理されているタータカ鞍部を登山口
とする玉山登山道が成立するまでの歴史は、日本時代の阿里山森林鉄道の建設、支線
拡張、更に戦後の林業事業からの撤退という変遷と表裏一体、つまり現在の玉山登山
道は阿里山森林鉄道の最終形態とも言い換えられる関係にあります。

日本時代の阿里山鉄道本線の終点は今は旧阿里山駅とも呼ばれる沼平駅、現在台湾に
於ける最も著名な桜の名所であり、新高山登山客もここまで鉄道を利用し上がってき
ました。この駅構内脇に「祝山観日歩道」と名付けられた歩道の入口があります。

祝山(標高2,489メートル)観日平台、祝山支線終点祝山駅までの歩道で、読者の中に
も実際歩かれた方もあるかと思います。日本時代は当初ここが新高山登山の為の歩道
入口であったことが当時の写真(注3)を見ると判ります。歩道竣工が1925年(大正14
年)、新高山山頂までの距離が「七里十一町」と同写真に写る入口横の道標に記され
ているので、約30キロもの距離をてくてく歩き且つ登ったことになります。その後、
阿里山駅より客車用線路を「児玉」(省道18号線上で阿里山遊楽区から約8キロ、現在
の地名は自忠)、更に「新高口」(省道18号線上で自忠から約3キロ)まで延ばし、
新高山までの歩行距離が約20キロまでに短縮されると登山客は爆発的に増えたそうです。

「児玉」は第四代台湾総督児玉源太郎に因んだと謂われる地名で、現在はこの旧地名
は無くなりましたが、現在の自忠山(標高2,606メートル)は登山愛好家には「児玉山」
と呼ばれています。現在自忠と改名された場所には、派出所・護管所があり、それら
の建物の道路を隔てて向かい側に旧児玉駅のプラットフォームが残っていますが、そ
れがプラットフォーム跡だと気付く観光客は少ないと思います。又、派出所・護管所
脇に「特富野古道」の案内板が立っていますが、この場所は嘗て水山林場支線の起点
で、今は支線の線路は外され全長約6キロの歩道として整備し直され、この辺りに居住
していたツォウ族トフラ社に因んで古道名が付けられています。また、嘗ての新高口
駅は今は観光客用の駐車場になっていますが、何の標示も無いのでここが当時の最前
線の登山口だったことを物語るものは一切残っていません。但し、同地は同時に霞山
林場支線と石水山林場支線の起点だった為、両支線とも既に軌道は撤去されてはいま
すが、両支線の入口はちょっとした広場になっているので目印になります。ここから
の新高山歩道は、戦後は玉山林道と名を変えて暫くは登山道として使われていたはず
ですが、今は入口すら判らない程に荒廃しています。

このように、往時は旧阿里山駅からは複数の地域に林場線、更に支線と呼ばれる木材
運搬用の軌道が延ばされていきました。現在の阿里山から塔塔加ビジター・センター
までの省道18号線、即ち新中横は、タータカ林場線の軌道を外し自動車道化したもの
で、現在のビジター・センターは当時木材集材場だった場所です。

台湾鉄道ファンの方の中には、台湾山間部に今でも残る日本時代に敷設された木材運
搬用の旧軌道を丹念に調査していらっしゃる方もいるかと思いますが、旧阿里山鉄道
林場線、林場支線に関しては廃棄された軌道はどんどん外され姿を消しつつあるとい
うのが私の印象です。

<鹿林山−随一の玉山展望台>

省道18号線の上東埔駐車場に至る1キロ程手前に鹿林山(標高2,895メートル)への登
山口があります。入口を示す石碑がありますのですぐ判ります。登山口から山手右側
を見上げると、山の頂上(実際は鹿林前山、標高2,862メートル)に白いドームが見え
ますが、台湾で最大口径の天体望遠鏡を擁する国立中央大学鹿林山天文台です。今年
の7月に新彗星を発見し「Lulin」(鹿林:日本時代の読みは「ろくりん」)と命名さ
れました。

古色蒼然とした登山道を半時間程辿ると日本家屋を模した鹿林山荘に着きます。今は
玉山国家公園管理処鹿林山管理站というのが正式名称ですが、ここは日本時代、台南
州庁管理下の山荘で新高山への登山基地だった場所です。日本式家屋とは云っても、
当時の山荘を忠実に模したものではありませんが、谷側に突き出た石垣は当時のまま
です。山荘前を舗装された玉山林道、即ち嘗ての新高山歩道が通っていますが、現在
は上東埔駐車場からの楠渓林道と繋がり、専ら省道18号線と山荘、天文台を繋ぐ道路
として利用されています。

鹿林山荘から鹿林山山頂までは半時間程度です。山頂からの展望は一部廻りの樹木に
邪魔される部分がありますが、そこから玉山へ向かうように暫く下ると、足下に草原
が広がりその先には一切の遮蔽物が無い玉山連峰の雄姿が眼前に飛び込んで来ます。
様々な場所から玉山を展望して来た私ですが、この鹿林山頂上足下からの玉山展望に
は唖然としました。天国的とさえ言えるこの風景は、鹿林山山麓とそれに続く麟趾山
に掛けての見事な草原、その先にはゆっくり高度を上げるなだらかな山容の玉山前峰
と玉山西峰、最後に尖立する玉山主峰と左右に控える峨々(がが)たる稜線へと続き、
全体の風景は静と動が見事に配置され、ゆるやかなリズムが次第にテンポを上げてい
くような音楽的な躍動感が風景の中にあります。ここに見る草原は数度の山火事を経
て出現したものだそうです。

玉山山塊に加えて、左手には鹿野忠雄が「山と雲と蕃人と」の中でかなりの筆を費や
してる秀姑巒山・マボラス山塊、郡大山(標高3,250メートル)、東郡大山(同3,619
メートル)・東巒大山(同3,468メートル)塊等、右側に目を転じれば、ピラミッド型
の山容がひと際目立つと関山(同3,668メートル)とそれに続く中央山脈南段と小粒だ
が明確に判る大武山(同3,092メートル)という具合に広がります。

この壮大なパノラマに圧倒されながら鹿林山を下り麟趾山との鞍部に到ると、登山道
が十字に交差しています。真っ直ぐ進むと麟趾山の頂上に至り、そのままタータカ鞍
部へと降りていけます。交差しているもう一本の登山道は、玉山林道脇にある麟趾山
登山口から上がってきたもので、この登山道はそのまま麟趾山の南側斜面を巻きなが
ら最後はこれもタータカ鞍部へと降りていきます。後者の十字路からタータカ鞍部ま
での距離は約2キロ、この2キロの登山道こそが、今現在は直接玉山登山に使われてい
ないながらも、日本時代に新高山歩道として開鑿され現在もそのまま歩道として残存
している部分で、今は専ら鹿林山、麟趾山、タータカ鞍部を散策しながら玉山山塊の
パノラマを堪能する為の遊歩道として使われています。

現在はタータカ鞍部、即ち玉山登山口に至るのに麟趾山北側山麓を走る楠渓林道を利
用していますが、当時は、新高口から現在の玉山林道を鹿林山荘まで辿り(現在この
区間の殆どは荒廃)、その後現在の麟趾山登山口から上がり麟趾山南側山裾をタータ
カ鞍部へと降り、そこから新高前山の山裾に取り付いていったのです。

今回の記事では、省道18号線脇の鹿林山登山口−鹿林山荘−鹿林山頂上−鹿林山・麟
趾山鞍部−タータカ鞍部の順で筆を起こしましたが、これらを巡るのに決まった順序
は無く、アクセスも上東埔駐車場、或いは、塔塔加ビジター・センターからの方が体
力的にも負担が軽いです。但し、一日たっぷり時間を取る必要があります。まずは、
ビジター・センターに立ち寄りパンフレットを入手、コースを確認することを薦めま
す。

加えて、玉山山塊のパノラマを高い確率で楽しみたければ、天候が安定する時期を選
択した上で、鹿林山頂上付近に午前九時頃までに到着することを薦めます。麟趾山頂
上に最初に立ってもいいですが、新高山(主峰)は殆ど新高西山(西峰)に隠されて
しまいます。(終わり)

(注1)『新高登山地図』(社団法人台湾山岳会、昭和八年六月十七日発行)

(注2)「省道」とは「台湾省道」の意であるが、実際は「国道」のことである。交
   通部公路総局は未だに改称していないのでそれに従った。尚、現在の台湾で国
   道とは高速道路(高速公路)の呼称である。

(注3)『玉山回首』曽恵香編撰、玉山国家公園管理処、1990年4月初版一刷

(その他、本記事を書くに当り以下の書籍等を参考にした)

『阿里山森林鉄道、1912−1999、景観編』
 蘇昭旭著、人人月暦股[イ分]有限公司、2001年5月初版一刷

『台湾聖山完全保存版 玉山』
 台湾山岳文化事業股[イ分]有限公司・玉山国家公園管理処共同出版、2004年12月初版


西豊穣 ブログ「台湾古道〜台湾の原風景を求めて」
http://taiwan-kodou.seesaa.net

西豊穣 台湾紀行古道シリーズ バックナンバー

2007/06/16 蘇花古道−3 
http://www.emaga.com/bn/?2007060069026465008515.3407

2007/06/15 蘇花古道−2
http://www.emaga.com/bn/?2007060066088784011088.3407

2007/06/14 蘇花古道−1
http://www.emaga.com/bn/?2007060063416681010425.3407

2006/11/26 恒春卑南古道(阿朗伊古道)−3
http://www.emaga.com/bn/?2006110088583432011570.3407

2006/11/19 恒春卑南古道(阿朗伊古道)−2
http://www.emaga.com/bn/?2006110062641083010527.3407

2006/09/30 恒春卑南古道(阿朗伊古道)−1
http://www.emaga.com/bn/?2006090110198233009044.3407

2006/07/05 六亀特別警備道付記‐竹子門発電所
http://www.emaga.com/bn/?2006070011116401005020.3407

2006/07/03 六亀特別警備道(扇平古道)
http://www.emaga.com/bn/?2006070005430276009918.3407

2006/03/06 浸水営古道
http://www.emaga.com/bn/?2006030022994333010714.3407

2005/12/23 崑崙拗古道
http://www.emaga.com/bn/?2005120083972080008877.3407

2005/04/26 八通関古道
http://www.emaga.com/bn/?2005040084791224010815.3407

2005/02/25 霞喀羅古道(石鹿古道)
http://www.emaga.com/bn/?2005020083026676007324.3407

2005/01/06 能高越嶺古道
http://www.emaga.com/bn/?2005010010046551008909.3407


『台湾の声』http://www.emaga.com/info/3407.html