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件名:「台湾の声」【台湾紀行】蘇花古道−3 

【台湾紀行】蘇花古道−3
                西豊穣

<グークツ>(現代地名:和平、和中)
(タイヤル語地名日本語表記漢音訳:姑姑子、台湾語音訳:牛窟等)

蘇花公路を蘇澳側から走ってきても、花蓮側から走ってきてもこの一大工業
区に入ってくると皆一様にがっかりします。台湾政府がこの地をセメント産
業専用の工業区にし、和平港をその専用積み出し港とする、所謂「水泥産業
東移」計画が立てられたのは1980年代後半。1990年代に実行に移されていき
ます。原住民族の土地の強制徴収、養殖真珠等海産資源・珊瑚礁の死滅
等々、物議を醸して来た場所です。

この工業区の横を抜ける公路が和平、和中の街を抜けて登りに掛かり最初の
トンネルである和平トンネルに入る少し手前に、青いペンキで塗られたグー
クツ駐在所が当時のまま残っています。蘇花古道上で日本時代の駐在所が当
時のまま残っているのはここだけです。しかも、まだ当時警察官だった方の
奥さんの方が存命です。旦那さんの方はパイワン族、本人はアミ族なのだそ
うです。

二つのトンネルを過ぎると再び下りに掛かり、良里渓(日本時代は大清水
渓)を渡り、もう一つのセメント工業区、和仁に入ります。日本時代のカナ
ガンです。駐在所跡とおぼしき場所に行ってみましたが、全く手掛かりはあ
りませんでした。和仁を過ぎるといよいよ蘇花公路、即ち蘇花古道の核心
部、清水断崖に入ります。

<清水断崖>
さて、当時の日本人はこれをどう発音していたのでしょうか?「きよみず」
「しみず」「せんすい」?又、「清水」の由来は?鳥も通わぬ断崖絶壁への
道路開鑿と聞けば、日本人ならすぐに「清水(きよみず)の舞台から飛び降
りる」という言い回しを想起するでしょうし、この地の清水の名付け親は日
本人だという台湾側の記事を見たことがありますが、実際は羅提督の後山北
路開鑿の時点では既に大清水、小清水の地名が用いられていましたから、日
本人が付けたものではないことは明らかです。

現在の公路上では清水断崖は、和仁(カナガン)−崇徳(日本時代:タッキ
リ)間約20キロだと云われています。この間に交通部では、和仁、匯徳、崇
徳の各々の名前を冠した三箇所の休息所・遊歩道を設置しています。それぞ
れ特徴を出せるように設計してあり、清水断崖全体を一望、断崖の様子、規
模、道路開鑿の実際等を同時に観察、感得するには崇徳、現在は廃棄された
自動車を実際歩いてみたければ匯徳、海岸に降りてみたければ和仁という説
明を聞いたことがありますが、各人の好み次第だと思います。

休息所・遊歩道の規模は匯徳が最も大きく、又、この場所が日本時代、清水
と呼ばれていた場所で駐在所が置かれていた場所です。その駐在所が置かれ
ていた場所は、現在の休憩所より遥か下方、北廻鉄路の清水トンネルの出口
付近、その地は清代の営盤を襲って立てられたとのことで実際入り込んでみ
ましたが、藪が深くて皆目見当が付きませんでした。

和仁休憩所から蘇澳に少しだけ進んだ場所に、前述した日本時代と戦後の殉
職碑が並んで立っています。尚、日本時代の臨海自動車道を含め自動車道旧
道を観察出来る場所は、匯徳遊歩道以外にもトンネルの前後であれば大概可
能ですが、道路が狭い上に、特に休日は車の量が多く、専用の駐車場は設け
てありませんので、指定された休息所・遊歩道を利用すべきです。

清代の古道は営盤として点でしか残っておらず、日本時代の東海徒歩道→臨
海自動車がそのまま現在の蘇花公路に受け継がれたとすれば、本来の意味で
の現在も辿れる蘇花古道とは何か?ということになりますが、それが理蕃道
です。

但し、蘇花古道に関しては一般のハイカー向けに整備された部分は僅かな部
分に過ぎませんし、私自身もこれまで残念ながら実際歩く機会に恵まれてい
ません。そんな中で最近よく山行記録を見掛けるようになったのが、石[石/
空]仔歩道と通称される理蕃道で、嘗て同名の駐在所が置かれており、匯徳
トンネルと崇徳トンネルとの間を結んでいますので、上述のどちらかの休憩
所に車を停めて歩くことが出来ます。但し、距離4キロ、高度差約300メート
ル、歩行5時間とされていますので、ハイキングというわけにはいかないよ
うです。この高度差はトンネルからの高度差ですので、当時の清水断崖付近
の理蕃道は今の蘇花公路より遥か上を通っていたことになり、恐らく後山北
路も同じように高い位置に開鑿されたことが想像されます。

<新城>
崇徳を過ぎると、以前は蘇花公路は、タロコ国家公園管理処、即ち日本人の
観光客にもお馴染みのタロコ国立公園入口の赤塗りの門がある場所までタッ
キリ渓(現在表記:立霧渓)を溯ってから対岸へ渡っていましたが、「蘇花
古道−1」で述べた通り、現在は北廻鉄路と平行して一気にタッキリ渓を渡
ります。渡り切った所が、新城です。大濁水−新城間は約30キロ、羅提督が
北から後山北路を開鑿してきてこの川(清代は得其黎渓)を渡り最初に城
(砦)を築いたことに由来するそうです。日本時代は佐久間総督下のタロコ
蕃征討後に、同地に花蓮港庁の新城支庁を設置しますが、その後、佐久間総
督の号に因み、研海支庁と改名されます。現在の北廻鉄路新城駅の東側で
す。この「研海」は当地にはもう地名として残されていませんが、別の場所
に一箇所だけ残っています。タロコ国家公園の領域内に「研海」と名付けら
れた林道があり、佐久間山(標高2,809メートル)、タロコ山(標高3,283
メートル、台湾百岳56号)等への登山道と利用されています。

新城の旧市街地にはもともと日本人が区画した街らしく日本時代の建造物が
多く残ります。台湾の他の神社遺構には見られない丁寧な解説と保護が為さ
れている新城天主教会(旧新城神社)は読者の中にも実際足を運ばれた方が
いらっしゃるかと思います。「新城老街」と呼ばれている場所は昔懐かしい
日本の商店街の趣があります。前述の研海支庁は戦後は、新城の名前を復活
させ新城郷公所として使われ、現在は花蓮県警察局新城分局になっています
が、当時の石垣が現役、その警察署の向かい側にある既に廃棄された新城村
弁公処も、以前は支庁舎の一部だった可能性があります。但し、当時の町並
みが今でも残っているということは、それだけ経済的に衰退してきたという
意味で、現在の新城郷の中心地(郷公所の置かれている場所)は、日本時代
に支庁が置かれた場所から更に10キロ程南側、花蓮市側に移ってしまいまし
た。新城郷は花蓮県では最も小さな郷、しかし、花蓮国際空港と空軍を併せ
持ちます。

新城から花蓮市までは約20キロ、この間にも古道に因む場所はありますが、
もう花蓮市はすぐそこ、花蓮市の紹介は様々な機会を通じて読者の方にはな
されていると思われますので、私の古道の旅はここで終わることにします。
蘇花古道に関する最新の研究の成果は以下の書籍に完全な形で網羅されてお
り、私自身も今回の記事を書くに当り参考にしました。台湾古道に関する出
版物の中では最高峰だと思います。台湾政府系出版物を扱う書店、又は、台
湾国家公園のビジター・センター内で購入出来ます。ご興味のある方は是非
ともご一読することをお奨めします:

李瑞宗著、「蘇花道今昔」、2003年7月初版、太魯閣国家公園管理処出版

(蘇花古道 完)

(注1)本文中の「省道」は「台湾省道」の略で、実質上は日本の「国道」
に相当します。但し、台湾政府交通部はまだこの呼称を継続使用しています
ので、それに従いました。尚、現在の台湾で「国道」とは「高速公路」、即
ち高速道路に対する呼称です。

(注2)本文中のカタカナ表記された地名(タイヤル語の日本語音訳)は、
日本時代に出版された刊行物(地図、パンフレット等)上の一般的な表記に
従いました。

(注3)日本時代、「高砂族」と称されていた原住民族は戦後は「高山族」
等と呼ばれ、日本時代の分類に従い、タイヤル、サイシャット、ブヌン、ツ
ウオ、ルカイ、パイワン、プユマ、アミ、ヤミ(タオ)の「九族」が台湾政
府によって承認されてきました。この区分は今でも台湾では一般的に広く用
いられており、私の記事の中でもこの区分に従っています。しかしながら、
2000年以降、台湾原住民族の民族意識と地位向上の要求の高まりを背景に、
サオ、カヴァラン、タロコ、サキザヤの四族が新たに台湾政府(正式には行
政院原住民族委員会)によって承認され、現在は十三族。タロコ族は従来は
タイヤル族に属すると考えられてきた為、本稿の中でもタイヤル族の一つと
いう扱いになっており、日本時代の表記に従った「タロコ蕃」とか、タイヤ
ル族の中の一群という意味で「タイヤル族群」という表記にしています。


西豊穣 ブログ「台湾古道〜台湾の原風景を求めて」
http://taiwan-kodou.seesaa.net

西豊穣 台湾紀行古道シリーズ バックナンバー

2007/06/15 蘇花古道−2
http://www.emaga.com/bn/?2007060066088784011088.3407

2007/06/14 蘇花古道−1
http://www.emaga.com/bn/?2007060063416681010425.3407

2006/11/26 恒春卑南古道(阿朗伊古道)−3
http://www.emaga.com/bn/?2006110088583432011570.3407

2006/11/19 恒春卑南古道(阿朗伊古道)−2
http://www.emaga.com/bn/?2006110062641083010527.3407

2006/09/30 恒春卑南古道(阿朗伊古道)−1
http://www.emaga.com/bn/?2006090110198233009044.3407

2006/07/05 六亀特別警備道付記‐竹子門発電所
http://www.emaga.com/bn/?2006070011116401005020.3407

2006/07/03 六亀特別警備道(扇平古道)
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2006/03/06 浸水営古道
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2005/12/23 崑崙拗古道
http://www.emaga.com/bn/?2005120083972080008877.3407

2005/04/26 八通関古道
http://www.emaga.com/bn/?2005040084791224010815.3407

2005/02/25 霞喀羅古道(石鹿古道)
http://www.emaga.com/bn/?2005020083026676007324.3407

2005/01/06 能高越嶺古道
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『台湾の声』 http://www.emaga.com/info/3407.html

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