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件名:「台湾の声」【台湾紀行】蘇花古道−2 

【台湾紀行】蘇花古道−2
                西豊穣

<蘇澳>
蘇澳は後山北路の時代から開鑿の起点でしたから、清代の遺跡が、営盤、
碑、墓地という形で現存しています。

羅大春提督指揮下の後山北路開鑿にかかわる碑は、現在の蘇花公路の蘇澳−
花蓮間約100キロの間に、三基現存(戦前は四基、鳥居龍蔵が花蓮の北、新
城で発見したものは戦後、海へ水没)、その内二基が蘇澳駅前の商店街アー
ケードを少しばかり入った所にある晋安宮と呼ばれる廟に並べて安置されて
います。

一基は「北路里程碑」或いは「羅提督里程碑」と通称されるもので、同治十
三年(1874年)の銘を持ち、蘇澳を起点として東澳→大南澳(現在の南澳)
→大濁水(現在の和平渓河口、漢本・和平付近)→大清水(現在の清水断崖
付近)→新城(現在の立霧渓河口)→花蓮の各地点間の距離が刻まれていま
す。

もう一基は「羅提督義学碑」で、北路開鑿の際、羅提督が当時は宜蘭の中心
地から僻遠の地にあった当地の人々の為に義捐金を下付、義塾(学校)を設
立したことを称えたもので、光緒元年(1875年)の銘を持ちます。どちらも
台湾の歴史上は重要な意義を持つ碑だとは考えられますが、何故か現在まで
国家古蹟にも県指定古蹟にも指定されていないようです。尚、晋安宮には日
本時代に奉納された石柱等も残っています。

金字山日月宮と呼ばれる壮大な廟は蘇澳市街地ならどこからでも望めます
が、ここに清軍墓地があります。蘇澳付近に散在していた墓地を集めたもの
らしく、元々はこの廟の後方の林の中に安置されていましたが、私が訪ねた
時は、同じ敷地内に別の廟を建設中で、そこの納骨堂に仮安置されているの
を見せて貰いました。これらの兵士の死因は戦闘に依るものではなく、北路
開鑿中に疫病に倒れたり、原住民に襲われて落命したものだそうです。

現在の蘇澳に限れば平埔族の中でも最も漢化が遅かったと云われるカラヴァ
ン族の猴猴社(kau-kau-a)の地とされていますが、後山北路開鑿時の遭難
は主にタイヤル族との間に起こったものと考えられます。同時期、つまり開
山撫蕃下の清軍墓地は台湾に数箇所残っており何等かの保護が加えられてい
ますが、その後入ってきた日本人も同じ憂き目に遭ったにもかかわらず、理
蕃下に於ける日軍墓地というのは私の知る限り一箇所のみ、しかもとても一
般人は入り込めない場所にあり、今ではその存在すら話題になりません。

<東澳>
蘇澳−東澳間は約10キロ、蘇澳から出発すると一端坂を登り切り東澳の町へ
向かって坂を大きく下っていく前に、大概の人は東澳休息站か、それより少
し先で東澳への下りが始まる辺りにある小さな廟(東澳慶安堂)で車を停め
ます。東澳の南側にある小さく飛び出た半島、鳥石鼻の形の妙と海との織り
成す絶景を観賞する為です。ここからの眺望は蘇花公路上の白眉の一つで
す。以前或る人に、台湾は鳥石鼻から始まった、と言われたことがありま
す。調べてみると確かにその通りで、鳥石鼻を形成しているのは台湾最古の
岩盤だそうです。

東澳慶安堂は一見ごく普通の廟、中には「開路先鋒爺」と刻まれた自然石が
安置されています。その下には人名が刻まれています。廟の外にはこれとは
別に、1993年に建てられた「蘇花公路開路英雄世代永世記念園」という碑が
ありますので、この廟は戦後蘇花公路建設の際、殉職した人々を祀るものだ
ということが判りますが、不思議なことに「開路先鋒爺」碑に刻まれた名前
の中に二名の日本人の名前があります。

実はこの「開路先鋒爺」の碑は元々は、大正6年(1915年)、東海徒歩道開
鑿(臨海自動車道開鑿の前段階)の際の発破事故で殉職した人々を祀った
「遭難碑」で、それら三文字と六人の殉職者の名前だけが刻まれていたもの
をすべて削り取り、戦後の同道工事の際の殉職者を新たに追加し「合祀」し
たものです。オリジナルの遭難碑の最初の二名の名前は日本人でしたが、
「開路先鋒爺」に変えた際は、名前の順番も入れ替えてあり、先頭に来てる
のは、戦後清水断崖付近の工事で殉職し、同地に殉職碑が立つ呉錦文氏(蘇
花公路上には同氏に因んだトンネルと橋がある)です。

蘇花公路上には、もう一箇所もともと日本時代に立てられた殉職碑がありま
す。そちらの方は、碑自体を作り変えた上に、年号を中華民国年号に変えて
はありますが、呉錦文氏の殉職碑と仲良く並べてあります。

<南澳>
東澳−南澳間も約10キロ、東澳の街に入り一端海抜ゼロメートル近くまで降
りますが、再度坂を登り詰め、大きく下りながら南澳の街に入ります。南澳
は南澳渓河口のかなり広い沖積平野部に位置します。蘇花公路沿いでは最も
広く且つ最も人口密度が低いという表現が使われます。

南澳の街に下り切らないうちに、「朝陽国家歩道」の表示が出て来て南澳の
街を通らずに海岸へ辿り着くことが出来ます。辿り着いた所は現在は朝陽里
と呼ばれる小さな漁村ですが、日本時代は「浪速」(なにわ)と呼ばれてい
た場所です。この漁村の後方は亀山と呼ばれる標高200メートルにも満たな
い小山があり、その中に登山道を通してあるだけ、何故林務局が歩道指定し
たのかは私自身見当が付きませんが、私が訪れた時は、村に一本しかない車
道は観光客で非常な混み様で驚きました。

日本時代、原住民族に対する隘勇戦(あいゆうせん)を蘇澳から南に前進さ
せることが、現在の蘇花公路北部一帯最初の理蕃事業で、現在の公路に沿う
形で七箇所の駐在所を設置、その終点が浪速でした。浪速に置かれた駐在所
跡地は現在でも手付かずで残っています。

尚、浪速は南澳渓河口の北側の村落になりますが、南側の村落は「海岸」と
いう日本時代からの地名が今でも使われています。又、南澳には日本時代は
南澳支庁が置かれ、現在の南澳郷公所の前身、最近まで日本時代の建物が
残っていたはずですが、昨年訪ねた時は既にすっかり建て替えられていまし
た。

旧浪速を通る自動車道を南澳の街に折り返すと、街の中心部に入る少し手前
に震安宮という廟があります。この廟の横に真新しく小屋掛けした祠があ
り、そこに通称「羅提督開路碑」が安置されています。これが後山北路開鑿
に纏わる現存する三基目の碑です。

台湾のサイト上に掲載されてるこの祠の写真は改装以前のものが多く、加え
て道路上には表示がありませんので、容易に見落としてしまいます。碑文
は、蘇澳から当時大南澳と呼ばれていたこの地まで如何に苦労して道路を開
鑿してきたかを述べたものであり、その苦労の原因として原住民襲撃と疫病
が挙げてあります。歴史遺産となるべき古蹟とは考えますが、現役の信仰対
象として改装された祠と、レプリカかと見紛う程に新たに塗り替えられた碑
文の金文字に、地元民の篤さを感じさせられます。

<武塔>
南澳渓を渡り数キロ進むと武塔で、北廻鉄路南澳駅の南隣の駅武塔駅があり
ます。南澳渓は北上するものと西上するものとが平野部で合流しています。
どちらの川沿いも上流は中央山脈の北端に源を発し、理蕃道路が敷設されま
した。

特に、西側を溯る南澳渓の上流付近は、河口を蘇花公路上約25キロ北側に持
つ大濁水渓(現在は和平渓)の上流と合わさり、当時南澳蕃と総称されてい
たタイヤル族の村落が集中していました。

この南澳渓を西側に溯り中央山脈を越えて現在の省道7号(甲)線(宜蘭県
楼蘭と台中県梨山を結ぶ:この線は中央山脈と雪山山脈の鞍部、境界線)ま
で降りる理蕃道は、現在タイヤル族の一村落に因み「比亜毫(ビイハウ)古
道」と呼ばれる国家歩道に指定されていますが、実際踏破する人がいるかど
うかは私自身大いに疑問です。

武塔もそのような村落の一つ、ブター社が河口付近に移遷してきたもので、
ビイハウ古道の入口になります。武塔には既に多くのメルマガ読者に馴染み
の深い「サヨンの鐘」記念公園がドライブインと併設された形で公路脇に、
村の入口にある派出所脇を過ぎて暫く村の中を進むと、村を見下ろす形で
立っている「(愛国)乙女(サヨン)遭難之(碑?)」[筆者注:()は既
に削り取られている部分、?は筆者の想像]があります。

<ルキヨフ(ルキヨー)>(タイヤル語地名日本語表記漢音訳:魯基岳夫)
武塔を通り過ぎ暫く進むと再び坂を登り、登り切ると太平洋が見えてきて、
ここから先は大濁水渓河口に到るまで海岸沿いを走ります。この坂を登り
切った場所の公路脇に万年休業状態と見受けられる小さなドライブインがあ
り、その前は広い駐車スペースになっています。一見何の変哲も無い場所で
すが、このドライブインのある場所がルキヨフ駐在所跡です。1932年(昭和
7年)に完成した臨海自動車道は断崖脇を走る性格上、片側通行、このルキ
ヨフ駐在所前で待ち合わせ、双方向通行を行っていたそうです。

<ゴイン>(現代地名:鼓音)
蘇花公路上は武塔−大濁水渓河口のほぼ中間点で一箇所だけ道路が山側に入
り、そこに大きな石に描かれた観音菩薩が安置されちょっとした駐車スペー
スがあります。この観音菩薩の後方には滝があります。この付近がゴイン駐
在所跡です。

「鼓音」も「観音」もタイヤル族の現地名の日本語表記「ゴイン」に引っ掛
けたものです。武塔から大濁水渓河口北側の漢本までの公路下は、北廻鉄路
のトンネルが、以前は三本(北から、観音、鼓音、谷風トンネル)走ってお
り、丁度このゴイン付近の海岸線でそれら三本のトンネルが顔を合わせてい
たのですが、2006年になり、これを一本化、総延長10キロ強、台湾で最も長
い鉄道トンネルになりました。

<ベレフン(ベンフン)>(現代地名:谷風)
ゴインを過ぎると大濁水渓河口に向かって下りに掛かります。漢本のセメン
ト・石灰石の為の引き込み線、大濁水渓対岸の約7,000ヘクタールと云われ
る広大な和平セメント専業区が見えてくる辺りがペンフンで、ベンフン駐在
所跡は、公路横の道を海岸側へ降りた所に安検站(港湾・海岸に於ける検査
管理所)として残っていますが、現在は既に廃棄されています。

大濁水渓は現在は宜蘭県と花蓮県の県境になっており、漢本は、当時この地
が丁度蘇澳と花蓮の中間点、即ち「半分」に当っていた為、その漢音訳だと
謂われています。大濁水渓は今は和平渓と改められていますが、これは現在
の彰化県と雲林県の県境を西海岸(台湾海峡)側に流れ込む濁水渓と紛らわ
しかったからそうですが。北廻鉄路は一気に大濁水渓を渡りますが、蘇花公
路の方は一端上流側に迂回し澳花村(日本時代:大濁水)の横を対岸の小克
宝村(日本時代:キネボー)に渡ります。

次回は最終回、蘇花古道の南半分を紹介します。

(注1)本文中の「省道」は「台湾省道」の略で、実質上は日本の「国道」
に相当します。但し、台湾政府交通部はまだこの呼称を継続使用しています
ので、それに従いました。尚、現在の台湾で「国道」とは「高速公路」、即
ち高速道路に対する呼称です。

(注2)本文中のカタカナ表記された地名(タイヤル語の日本語音訳)は、
日本時代に出版された刊行物(地図、パンフレット等)上の一般的な表記に
従いました。

(注3)日本時代、「高砂族」と称されていた原住民族は戦後は「高山族」
等と呼ばれ、日本時代の分類に従い、タイヤル、サイシャット、ブヌン、ツ
ウオ、ルカイ、パイワン、プユマ、アミ、ヤミ(タオ)の「九族」が台湾政
府によって承認されてきました。この区分は今でも台湾では一般的に広く用
いられており、私の記事の中でもこの区分に従っています。しかしながら、
2000年以降、台湾原住民族の民族意識と地位向上の要求の高まりを背景に、
サオ、カヴァラン、タロコ、サキザヤの四族が新たに台湾政府(正式には行
政院原住民族委員会)によって承認され、現在は十三族。タロコ族は従来は
タイヤル族に属すると考えられてきた為、本稿の中でもタイヤル族の一つと
いう扱いになっており、日本時代の表記に従った「タロコ蕃」とか、タイヤ
ル族の中の一群という意味で「タイヤル族群」という表記にしています。


西豊穣 ブログ「台湾古道〜台湾の原風景を求めて」
http://taiwan-kodou.seesaa.net

西豊穣 台湾紀行古道シリーズ バックナンバー

2007/06/14 蘇花古道−1

2006/11/26 恒春卑南古道(阿朗伊古道)−3
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2006/11/19 恒春卑南古道(阿朗伊古道)−2
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2006/09/30 恒春卑南古道(阿朗伊古道)−1
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2006/07/05 六亀特別警備道付記‐竹子門発電所
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2006/07/03 六亀特別警備道(扇平古道)
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2006/03/06 浸水営古道
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2005/12/23 崑崙拗古道
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2005/04/26 八通関古道
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2005/02/25 霞喀羅古道(石鹿古道)
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2005/01/06 能高越嶺古道
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『台湾の声』 http://www.emaga.com/info/3407.html

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