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件名:「台湾の声」【台湾紀行古道シリーズ8】恒春卑南古道(阿朗伊古道)−1【差し替え訂正版】

編集部の手違いで「宮古島島民」を「宮古漁民」と誤ったものを28日に
配信してしまいました。差し替え版を再配信いたします。
参考:http://www.geocities.jp/twkiji/k001.html
編集部

【台湾紀行古道シリーズ8】恒春卑南古道(阿朗伊古道)−1

                     西豊穣

恒春卑南古道とは、台湾の最南部恒春半島を東西に横断する道路であり、牡
丹社事件以降本格的台湾経営に乗り出した清朝が開鑿した東西横断道の一つ
と言われています。

台湾海峡側にある屏東県恒春から満州を経由して太平洋岸の八瑶湾に抜けて
海岸線を北上、卑南、即ち台東へ抜けていたのですが、現在ではその殆どが
自動車道に取って替わられています。

即ち、恒春から太平洋岸に抜けるまでは県道200号線、太平洋岸に抜けた後
は省道26号線(註)と省道9号線という具合です。

尚、八瑶湾は牡丹社事件の切っ掛けとなった宮古島島民が漂着した場所で
す。この湾の名前は湾に流れ込む川の上流にあるパイワン族の村、満州郷八
瑶村(日本時代表記:バヨウ社)に因んだものです。


ところで、200号線の北側にもう一本東西を横断する県道199号線があり、こ
ちらの方が寧ろ日本時代との係わり合いという点では歴史を感じさせます。
西側起点が恒春の北隣の町、車城であり、途中、日本時代から続く四重渓温
泉、征台の役の舞台となった石門古戦場、更に牡丹社を経由して太平洋岸の
牡丹湾に抜けます。


現在古道として残存しているのは、恒春半島の東海岸線僅か6キロ、その殆
どが文字通り海岸線の道無き道、潮が満ちてくると歩けなくなる部分があ
り、これまで紹介してきた道として常時踏み歩かれる古道とは趣が異なりま
す。

海岸線には遮るものが無く、天気がいい日中はそれこそ太陽に焼き殺される
感じがあり、日傘は必需品、夏場この古道を探索するのは避けた方がいいで
しょう。尤も探索と行っても海岸線を勝手に歩くだけですので、通常の山中
の古道歩きの魅力からは程遠いものがあります。


余談ですが、全台湾の海岸線は隈なく舗装自動車道でカバーされているよう
に見えるのですが、一箇所だけ切断されている部分があります。現在台湾最
南部を東西に横断する道路は省道9号線(「南廻公路」)で、屏東県楓港
と、既に標高を1,000メートル以下に落とした中央山脈を越えて台東県達仁
とを結ぶ自動車道です。

これに対し恒春半島の海岸線をぐるりと廻りながら9号線と同じ起点と終点
を結ぶべく企図されたのが26号線ですが、太平洋岸側では小さな漁港間に間
歇的にしか舗装された自動車道が存在しません。具体的には、南側は墾丁国
家公園の東海岸側の代表的な観光スポットである佳楽水、北側は台東県達仁
の間です。この間に、八瑶湾と、その北側に牡丹湾と今回紹介する恒春卑南
古道があります。


恒春卑南古道は別名を「阿朗伊古道」(「伊」は「一」を意味する別な漢字
を充てることも)と言われ、特に海岸線に残る古道を指す場合は、現在では
寧ろ後者の方が多用されているようです。「阿朗伊」表記は現在の達仁郷安
朔村、日本時代「アロヱ社」と表記されていたパイワン族の部落名(最も人
の多い村の意)から来ています。


この古道の南側起点は、牡丹湾と呼ばれる小さな寂れた漁港ですが、休日に
は大型観光バスが乗り付けます。これらの観光客は、古道散策が目的ではな
く、この漁村の後方に聳える牡丹鼻山(標高213メートル)頂上付近に広が
る旭海大草原へ行くのが目的です。蘭嶼が良く見えます。天文愛好家の間で
は絶好の観測点と看做されているようですが、大草原というのは誇大広告で
す。

私は随分長い間、古道はこの草原を経由して海岸沿いの山中を走っているの
だろうと誤解しており、現在の古道の殆どが即ち海岸線そのものだというの
を理解したのはずっと後になってからです。


現在古道探索を目的として歩く人は、牡丹湾に車を止めてそこから海岸線を
北に向かって歩くのが一般的です。ここには古道に関する一切の表示があり
ませんが、入り口に「入山管制区」に関する表示が立っています。

海岸線を歩くのは「入山」ではないだろうということになりますが、原住民
族居住区につき入山証を提示して下さいという意味です。実際はこの管制区
内に住んでいるのは、今はこの表示が立っているほんの鼻先に数戸があるだ
けで、入山証の提示は求められません。恒春半島は牡丹社を始めパイワン族
の居住区ですが、牡丹湾では今はアミ族と半々ぐらいだと小さな食堂の女性
が話してくれました。


牡丹湾から入ると暫くの間は既に廃棄された椰子畑が続きます。この椰子畑
の中を進むことも出来ますし海岸線をそのまま歩くことも出来ます。車でも
入れますが、入り口から約二キロの所で沢に行き合い、車で入れるのはここ
まで、そこからは海岸線を歩きます。この海岸線は鵝卵石海岸と呼ばれてい
ます。


「鵝」と、日本で通常用いられる「ガチョウ」の「鵞」は異体字の関係にあ
り同義、要は鵞鳥の卵みたいな石がごろごろ転がっている海岸とイメージし
て貰えればいいでしょう。様々なサイズ、色、模様の卵形の石がずらりと海
岸に打ち上がっています。又、波が打ち寄せる度に波打ち際でそれらの石が
ゴロゴロ擦れ合う音は卵製造器さながらです。余りに見事な自然の造形にほ
とほと呆れ果ててしまう瞬間です。

大概の人はここで自分の好みの石を採集するのに夢中になりますし、同時
に、大量に持ち帰り商売出来ないものかと考え始めます。実際、鵝卵石の採
集、販売は立派な商売になっており、省道9号線上には「石」という看板を
掲げた店が何軒も出ています。但し、鵝卵石海岸はここだけを指すのではな
く、台湾東海岸に何箇所も分布しています。


更に海岸を北上し二本目の沢を渡ると観音鼻に行き当たります。入り口から
四キロぐらいのところで、潮が満ちてくると歩けなく部分があります。私は
潮の満ち干の時間には無頓着なまま行ったのですが、運良く干潮の時間に当
たったようです。当日、我々より先に入っていた古道探索のパーティーが
三々五々戻って来るので聞いてみると、その先から達仁方面へ抜ける山道に
なるのだが登り口が見付からないと聞かされ我々も引き返すことにしまし
た。とにかく猛烈に照り付ける太陽にへとへとになっていましたので良い口
実となりました。


北側起点の達仁から入ると、南田という南北に伸びた小さなパイワン族の村
を通り抜け四キロぐらいは車で海岸線を南下出来ます。ここも入山管制区で
すが牡丹湾と同じように入山証は必要ありません。検査所から入り南田を通
り抜ける道路も古道ということになります。最後は廃棄された牧場に突き当
たり観音鼻が見えます。丁度達仁郷と牡丹郷の境界になります。ここからは
26号線の予定地になっている道路が山側に続いています。


ここら一帯もまだ鵝卵石海岸になっており、当日石採集を生業にしている人
に出会いました。波打ち際まで出て海の方を睨んでいたので、恐らく「西瓜
(スイカ)石」でも探していたのではないか思われます。この古道上の鵝卵
石海岸でスイカ石が見られるという紹介を読んだことがありますが、この台
東県の名産、今は取り尽された為海岸で見付けるのは至難の業、海に潜り海
底にスイカ石を求めるそうです。実は鵝卵石の中でどのような特徴を有する
ものをスイカ石というのか私ではいまだに判然としませんが。


省道26号線が間歇的にしか開通していないということは、将来の26号予定線
は観光上の開発の手が入っておらず、当然手付かずの自然が残っている部分
が多いということになります。実際、東海岸の海は実に綺麗です。天気さえ
よければ山を越えて東海岸に出て初めてその海が眼前に広がって来た時は誰
でも感激します。

ところが、海だけみていればという話で、海岸線は様々な生活廃棄物の漂着
でお世辞にも綺麗とは言えないし、自動車が入り込める部分は釣り客、ハイ
カー、地元の人々が残したゴミが散乱している場所が多く、非常に残念で
す。

それでも、佳楽水と達仁との間の海岸線は単調な景観の海岸が横たわってい
るのではなく、変化に富んでいるのです。即ち、南から北に向かい、佳楽水
に代表される岩が波の浸食で様々な奇岩を作り出している海岸、八瑶湾北岸
の台湾最大と言われる九棚(港仔)大砂丘に代表される砂丘、そして古道に
沿った鵝卵石海岸という具合に変化していきます。


小さな漁港の周りというのはすべてがうら寂しい漁村が点在しているとわけ
ではありません。たとえば八瑶湾には、寧ろ豊かな農村風景が広がりその中
で水牛が飼われています。落ち着いた農村に水牛の点景というのは実にゆっ
たりとした落ち着いた風景です。

東海岸を更に北上すると以前紹介した浸水営古道の東側起点の大武郷大武村
になりますが、そこにも水牛の牧場がありました。その水牛の祖先は浸水営
古道の西側起点枋寮から古道伝いに連れてこられたそうですが、八瑶湾の水
牛の祖先も同じように古道西側起点恒春から連れてこられたのかもしれませ
ん。


次回は恒春卑南古道紀行の続編として、古道周辺の風景、即ち、恒春半島並
びに墾丁国家公園内に点在する一般の観光客には余り馴染みのない名所・古
蹟を紹介します。



筆者註:これまでもそうでしたが、本投稿中にも現在の台湾の自動車道を紹
介するのに「省道」という表記を用いています。これは「台湾省」道の略
で、本来は「国道」とすべき所でしょうが、今でも交通部では変更していま
せんのでそのまま「省道」という表記を採用します。因みに、現在交通部が
「国道」と称しているのは、高速道路(「高速公路」)のことです。



西豊穣 ブログ「台湾古道〜台湾の原風景を求めて」
http://taiwan-kodou.seesaa.net


西豊穣 台湾紀行古道シリーズ バックナンバー

2006/07/05【台湾紀行】六亀特別警備道付記‐竹子門発電所
http://www.emaga.com/bn/?2006070011116401005020.3407

2006/07/03【台湾紀行】六亀特別警備道(扇平古道)
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2006/03/06【台湾紀行】浸水営古道
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2005/12/23【台湾紀行】崑崙拗古道
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2005/04/26【台湾紀行】八通関古道
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2005/02/25【台湾紀行】霞喀羅古道(石鹿古道)
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2005/01/06【台湾紀行】能高越嶺古道
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『台湾の声』 http://www.emaga.com/info/3407.html

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