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件名:「台湾の声」台湾古道6【台湾紀行】六亀特別警備道(扇平古道) 台湾古道6【台湾紀行】六亀特別警備道(扇平古道) 西 豊穣 六亀特別警備道はいわば台湾版東海道五十三次です。山歩きが好きな人でも 耳慣れないこの古道は、高雄県・屏東県の二県八郷(桃源郷、六亀郷[ラク リイ/ラックゥ]、茂林郷、三地門郷[スティムル/サンティムン]、霧台 郷、瑪家郷[マカザヤザ])に跨る南北に長い広大な茂林国家風景区の北東に 位置します。 茂林国家風景区はその名が示す通り最初は茂林地区が風景区として指定され その後周辺地区を包含させていったもので、その北端は玉山国家公園の最南 部の連なります。玉山群峰を源頭とする[艸/老]濃渓がこの風景区のほぼ中 央を流れ、山と渓谷、岩と水とが様々に交錯する一大公園の趣きがありま す。[艸/老]濃渓はこの風景区を抜けると高雄県と屏東県の境を流れる高屏 渓と合流、南下して今ではまぐろ(鮪)のメッカとしてすっかり有名なった 屏東県東港から台湾海峡に流れ込みます。 桃源のブヌン族とツォウ族、茂林と霧台のルカイ族、三地門と瑪家のパイワ ン族という分布が示すように、原住民族文化が非常に豊かな所でそれもこの 風景区の大きな魅力の一つになっています。又、この風景区の北側半分、即 ち桃源郷、六亀郷、茂林郷は温泉の宝庫、合計十二箇所を数えますが、その 内温泉街を形成している宝来温泉と不老温泉(いずれも六亀郷)を除いては 文字通り秘湯でありその多くが残念ながら一般の車でのアクセスが不便で す。 現在台湾で古道と呼ばれるその多くは、日本時代に於ける最終形態が原住民 族に対する警備道(「理蕃道」)だったのですが、内政部林務局が現在指定 している国家歩道の中で「警備道」の名前で呼ばれているのはこの古道のみ です。しかもわざわざ「特別」の名が冠されているのですが、その理由に関 しては林務局の資料には明解な説明がありません。 原住民族警備道の通常の形成は原住民族の生活道・婚姻道、及び清代の「開 山撫番」道を警備道として整備、編入していった過程がありますが、六亀警 備道の場合、最初から隘勇線(あいゆうせん)を張り巡らし警備道化して いった経緯があったからではないかと想像されます。隘勇線とは清代の開山 撫蕃下に於ける平地人と原住民族の居住区を区別する為の隘(勇)制を引き 継いだもので、日本時代は原住民族に対する包囲線・封鎖線へと変遷、物理 的には山中百五十メートル幅で草木を払い、道路を通し鉄条網を張り巡ら し、更にその鉄条網に電流を流し原住民の「隔離」を図ったものです。日本 時代の隘勇線の総延長は五百キロ弱に及んだそうで、第五代台湾総督府の佐 久間左馬太により実施された「五箇年計画理蕃事業」(1910年、明治四十三 年開始)に於いて隘勇線の永久道路化が五年目の目標として掲げられていま す。実際、理蕃事業とは樟脳に代表される産地資源を利用した殖産興業の推 進を阻害するものの徹底排除というのがその基本性格だったと言われていま す。 六亀警備道は、現在の南部横貫公路(俗称「南横」、“省”道20号線)の ベースになった関山越嶺古道(後日紹介予定)とその南側に開鑿された内鹿 本越嶺古道(後日紹介予定)と共に中央山脈南部(「南一段」)を跨ぐブヌ ン族に対する中央山脈を境にした東西からの大包囲網の西側の一部を形成し ていました。更に、この大包囲網の北側に位置する先般紹介した八通関越嶺 古道と共にブヌン族を南北から挟撃するという地理的な位置にもありまし た。これらの警備道は一方ではブヌン族を山奥深く追い上げると共に、他方 では各地のブヌン族に対する強制廃村・移住を敢行して行く為に機能するこ とになります。 因みに、六亀警備道は関山、内鹿本、八通関よりも早く警備道として整備さ れ、台湾南部では最も初期に開鑿された警備道だそうです。五箇年計画理蕃 事業は最初に台湾北部の警備道整備を謳ってあり、四年目以降に南部・東部 の東西横断警備道の整備に移行する計画になっていたのですが、この南部・ 東部計画の最初に着工されたのが六亀警備道だったと考えられます。 六亀警備道と呼ばれてはいても六亀郷内にあるのではなく、桃源郷と茂林郷 間に開鑿されています。警備道の北端は現在の高雄県桃源郷桃源村(日本時 代表記:ガニ社)、南端が同県茂林郷多納村(日本時代表記:ダナ社)、そ の間[艸/老]濃渓の東側山塊のほぼ標高千五百メートル前後の稜線上に開鑿 され、全長七十余キロ、この間実に五十三ヶ所の駐在所を設置、これらの駐 在所に北から順番に東海道の宿場町の名を冠し、六亀、美濃一帯で樟脳取り に従事する平地住民を原住民族の「出草」(首狩り)から守るという名目で 強権を発動させたものです。 現在の内政部土地測量局製作の地形図を見ると確かに当時の名残りが地図上 に若干残っています。即ち、北から順番に、小田原、藤枝、吉田(山)、御 油(山)、鳴海(山)、(網子山)四日市、大津(山)、加えて私がネット 上で見掛けた近年の山行記録等に、沼津、見附(山)、藤川の記載がありま した。尚、大津山に加え大津村が六亀郷と屏東県高樹郷の二ヶ所にあり、共 に茂林・多納地区への玄関口になりますが、古道から大きく外れているので 実際日本の大津に因んだものなのかは自信がありません。 それでは、実際日本橋とか三条大橋が存在したのかどうかを確認する為に国 会図書館で所有する戦前に作製された台湾外邦図をすべて閲覧しましたが、 肝心の部分の地形図は見付けられませんでした。但し、偶々台湾の書店で昭 和九年という説明のある地形図が掲載されている本を見付けたのですが、こ れに日本橋の記載が確かにありました(つまり駐在所の数は五十三ヶ所では なく五十五ヶ所ということ?)。日本時代に作製された台湾の地形図は、総 督府臨時台湾土地調査局(明治三十七年製版)、総督府民政部警察本署(大 正二年製版)、大日本帝国陸地測量部(昭和九年製版)の製作に成る三種が 一般に流布されていたようですが、私が見たのは一番最後のものだと思われ ます。 六亀警備道の一部は小関山林道や石山林道として今でも使われていますが、 それら林道沿いで当時の面影を探すのは既に非常に困難です。林道の谷側、 或いは山側を注意深く辿ると当時作られた石垣が僅かに残っているのを観察 できると云った程度です。その他の部分は古道を専門に研究している人を伴 わずに一般のハイカーとして辿るのは多分無理だろうと随分長い間考えてい ました。例えば、警備道の北側起点の桃源村を訪ね日本橋跡を探そうと目論 み、当地の警察署、消防署、林務局の方々に聞いてみましたが誰も知る者が ありませんでした。 或る日最近の山行記録を検索していたら、「鳴海三山」と呼ばれている三座 の中級山の山行記録が十数枚の写真と共に公開されており、その写真の中に 私がこれまで見たことも無かったような日本時代に敷設された規模の大きな 登山道沿いの石垣の写真がありました。鳴海三山とは、北から鳴海山(標高 1,410メートル:高雄十名山の一つ)、網子山(同1,378メートル)、真我山 (同1,063メートル)のことで、その後網子山が地形図上で括弧付きで四日 市となっているのに気付き、実際は登山愛好家にはよく登られている鳴海三 山の頂上を結ぶ稜線が六亀警備道の一部であることに漸く合点が行きまし た。 実際そこを歩いてみるといまだにしっかりとした見事な駐在所と路側の石垣 遺構が非常に短い間隔で残っています。鳴海山と網子山の頂上には駐在所遺 構が残り、その中間に確かに二つの遺構(宮、桑名に相当?)が確認出来ま したが、同様に頂上に遺構を持つ真我山が当時何と呼ばれていたのかは、網 子山と真我山間の現在の登山道が当時の警備道を忠実に辿っているかどうか 怪しい部分があり特定は難しいです。関、坂下辺りかもしれません。台湾の 他の地区の古道としての警備道上の遺構が草と樹木の中に埋もれて行き痕跡 が次第に覆い隠されていくなかで、少なくもこの三山の稜線上の遺構は強制 的に撤去しない限り半永久的に残存し得る規模を持っています。 六亀警備道の線上に現在二つの森林遊楽区、藤枝国家森林遊楽区と扇平森林 生態科学園(旧林務局扇平林業試験場)があり、共に茂林国家風景区の中に 含まれます。この二つの森林遊楽区は日本時代、六万ヘクタールに及んだ京 都大学の演習林の一部だったものです。当時の台湾には京都大学以外に東京 大学(当時の新高郡・竹山郡)、北海道大学(同能高郡埔里)、九州大学 (同台北州文山郡)が演習林を総督府から払い下げられており、京都大学の 演習林面積が一番広大でした。 藤枝はその名の通り東海道筋の宿場町の名前を冠したもので今でも園内に駐 在所跡が残ります。扇平という地名は日本の各所にありますが、日本時代か ら今の地が扇平の名前で呼ばれていたような形跡が無く、戦後何故このよう な日本風な名前が付けられたのか定かではありません。藤枝森林遊楽区に入 る為には入山証、入園証等の取得は必要ありませんが、扇平科学園の方は入 山証の取得に加え予め予約する必要があります。両園とも昨年の台風禍で途 中の林道が崩壊して最近まで入れませんでしたが、やっと復旧しそうな見込 みが立ち始めた頃、先般の梅雨に因る集中豪雨が到来、開園が先延ばしにさ れている状態にあります。 鳴海三山の稜線と鳴海山の北に位置するこの扇平生態科学園を結ぶ登山道を 今では扇平古道と称する場合があり、通しで十キロにも満たず四時間ぐらい で歩き通せます。加えて、登山口の標高が既に千メートル程あり三山の標高 が千五百メートル程度ですから起伏が小さく、道はよく踏み歩かれ、沿線の 樹相も美しく日帰りハイキングには最適な場が提供されています。この扇平 古道が狭義の古道としての六亀警備道であり今現在唯一一般の人が登山道と して歩ける部分です。 当時、原住民を包囲するとは山奥深く追い上げ締め上げるということだった のですが、六亀警備道のごく一部には過ぎないとは云え、鳴海三山の稜線か ら[艸/老]濃渓を見下ろし、又逆に[艸/老]濃渓沿いにこれらの山の稜線を見 上げる時、当時の包囲網線=隘勇線が持つ原住民族に対する過酷さの一端が 透けて見えてきます。古道上には所々木の枝に引っ掛かっている鉄条網と碍 子(がいし)の一部が残っているらしいのですが私はまだ目にしたことがあ りません。 最後に、参考図書を一冊紹介します。台湾山脈と私がこれまで紹介した古道 を含む代表的な台湾古道の俯瞰写真集が今年出版されました。「台湾山林空 中散歩」(陳敏明撮影、2006年2月初版、遠流出版、2,400元)がそれです が、質の高い航空俯瞰写真で構成されているユニークさに加え、地図・年表 等をふんだんに盛り込み編集に工夫が凝らされており、現在台湾で市販され ている台湾地理・山岳・古道関係の書籍では最高の出来栄になっているので はないかと思います。特に台湾の地理と地形に興味のある方には座右の銘と なるべき一冊です。実は普及版(「鳥瞰台湾山‐台湾五大山脈空中巡遊」、 2005年12月初版、450元)の方が先に出版されており、豪華版、普及版の二 種類が供されているのも特徴です。(終わり) 西豊穣 台湾紀行古道シリーズ バックナンバー 2006/03/06 「台湾の声」【台湾紀行】浸水営古道 http://www.emaga.com/bn/?2006030022994333010714.3407 2005/12/23【台湾紀行】崑崙拗古道 http://www.emaga.com/bn/?2005120083972080008877.3407 2005/04/26【台湾紀行】八通関古道 http://www.emaga.com/bn/?2005040084791224010815.3407 2005/02/25【台湾紀行】霞喀羅古道(石鹿古道) http://www.emaga.com/bn/?2005020083026676007324.3407 2005/01/06【台湾紀行】能高越嶺古道 http://www.emaga.com/bn/?2005010010046551008909.3407 『台湾の声』 http://www.emaga.com/info/3407.html 『日本之声』 http://groups.yahoo.com/group/nihonnokoe Big5漢文
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