このマガジンの他のバックナンバーを見る
今日発行されたマガジンを見る
昨日発行されたマガジンを見る


購読は無料です。購読するには貴方のメールアドレスを入力して下さい。


件名:【Publicity】874:「葬られるのは誰か?」(その2)〜あるフリーランスライターの視点

/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄▼

PUBLICITY
No.874(2004/03/09/火)

▲_/_/_/_/_/_/_/_/_/


「PUBLICITY」(パブリシティー) 編集人:竹山 徹朗
E-mail:
freespeech21@infoseek.jp(こっちにどうぞ)
freespeech21@yahoo.co.jp(こっちはもうすぐ消えます)

※転送・転載自由です。ただ、転送・転載される時には、
登録申し込み先(↓)も必ず合わせて併記してください。
http://www.emaga.com/info/7777.html



□□□□□□□□□□□□◆□□□□□□□□□□□□
□□□□□□□□□□□□◆□□□□□□□□□□□□


        ◆◇今号の目次◇◆


【めでぃあ・オフノート】
▼「葬られるのは誰か?」(その2)
あるフリーランスライターの視点


        ◆◇     ◇◆


□□□□□□□□□□□□◆□□□□□□□□□□□□
□□□□□□□□□□□□◆□□□□□□□□□□□□



【めでぃあ・オフノート】  

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「葬られるのは誰か?」(その2)
あるフリーランスライターの視点

▼なんと、『葬られた夏』と『下山事件』の2冊とも読んでい
る方からメールをいただいた! うれしいことである。さっそ
く、佐野眞一氏の文章を紹介する前に、メールのやりとりを編
集して紹介する。

で、このやりとりに関するコメントを書きたいが、分量が多く
なるので、今号は紹介するだけにしておきます。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
こんにちは、いつも楽しみに読んでいます。

「葬られたのは誰か?」に対しては、私も2冊とも読んでおり
ましたので、とても興味深く思っていました。

私はフリーランス記者ですが、いわゆるデータマンの仕事も多
くやってきました。今回、福田和也氏が書いた、

「大組織を背景とする人間がフリーランスの仕事を収奪する、
今どき珍しい悪代官ぶりに、感心すらしてしまいます」

という意見には多くの人が同感なのだと思いますが、私は、
今回、松沢呉一氏が

「今回のトラブルは、通常その権利を主張しない編集者が、書
き手として権利主張をしてきた極稀なケースということもでき
ます」

と書いていることのほうにもかなり共感しました。自分の身に
もとても覚えのあることなので。

データマンが現場で取材し集めたメモをアンカーに渡し、アン
カーは、それをまるで自分が見てきたかのように記事にする、
というのは週刊誌ではあたりまえのように行われていることで
す。

今回諸永記者は、とっくの昔になくなっていると誰もが思って
いたライカビルを発見したりなど、森氏も文中でその功績を認
めるほどの取材をしています。

そこから感じるのは、朝日新聞という大組織を背景にしている
記者、というイメージより、データマン記者として、目に見え
ぬ熱心な取材をした存在としての印象が強い感じでした。それ
は、諸永氏の本からも森氏の本からも伺えます。

私自身もよくあることですが、出版社の数ページの記事のため
に取材をしたテーマが、自分の中でまだ調べたりないと思った
ときに、どこに発表する当てもなく、経費も出ないのに、コツ
コツとそれを継続して調べ続けてしまうことがあります。

今回の件の場合、森氏はネタ元であるわけですが、その森氏が
連載終了後、そのネタを継続して追い続ける様子もなく見えた
として、自分がその後一人で調べていたことが思わぬ新ネタに
つながったとしたら、(今回の件でいうならアメリカの要人取
材)、私もまたそれを自分の名で発表してしまうかもしれませ
ん。

その場合、端から見たら、こちらがネタを盗んだということに
なるわけですよね。松沢氏の指摘は、その辺の問題で何度も悩
んだ人でなくては出てこない鋭い意見だと思います。


また素朴な疑問ですが、諸永氏の本の巻末には多大な参考文
献があげられているのに、森氏の本にはそれがあげられていな
いことがひっかかります。

下山事件は、故・斉藤茂男氏ほか、先人の取材調査の延長上で
なければ迫れない事件ですから、それにリスペクトの精神を表
明する意味でも、参考文献の表示は必要なのではないかと思い
ます。

とはいえ両人とも、文中では引用文献をきっちり示しているの
で問題はないのかもしれませんが。

本当にこの問題は興味深い。今後もレポート期待しています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


▼竹山の返信↓。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
いやー、メールありがとうございます<(_ _)>。

経験をもとにした人でないと書けない文章で、
そういう文章をいただき、非常にうれしいです。

▼福田氏と松沢氏、松沢氏の意見の方が、おそらく正しく鋭い
でしょう。

福田氏があのように書くのには、福田氏個人のああ書く理由も
あると思います。文章中に保田興重郎が出てくるあたり、福田
氏ならではだと思いました。


> 今回諸永記者は、とっくの昔になくなっていると誰もが思っ
ていたライカビルを発見したりなど、森氏も文中でその功績を
認めるほどの取材をしています。そこから感じるのは、朝日新
聞という大組織を背景にしている記者、というイメージより、
データマン記者として、目に見えぬ熱心な取材をした存在とし
ての印象が強い感じでした。それは、諸永氏の本からも森氏の
本からも伺えます

そうですね。

ただ、どうにも中途半端さが残るのです。

「新ネタ」(今回の件でいうならアメリカの要人取材)を取材
し、森氏に事前の相談なく週刊誌に出したときには、「伊藤律
がキャノン機関に使われていた」という内容だったのですが、
伊藤の遺族から抗議を受け、訂正を出している点です。

そして、『葬られた夏』には、伊藤の話題は一言も出て来ませ
ん。つまり、ウラとり不十分なまま、功を焦って出したとしか
考えられません。

どうせやるならちゃんとやってほしい、と強く思いました。

あとは、やっぱり本を出すときは、一声かけるべきではないか
と思いますが、どうなんでしょうね?

よっぽど関係が冷え切っていたのでしょうかねえ。そうとも思
えないのですが。


参考文献の提示についてですが、『下山事件』が参考文献をあ
げなかったのは、よくないですね。というか、あげた方がもち
ろんよかった。

案外、『葬られた夏』であげられているから、いいや、と思っ
てたのかも知れません。ほとんどかぶってるはずですし。

小生はどうしても森氏のかたをもつようなかたちになってしま
うのですが(^_^;)、本文の内容を読むかぎりは、斎藤氏にリス
ペクトしているのは、森氏の方だと思います。

なぜなら森氏は、斎藤氏が亡くなるまで、「斉藤氏といっしょ
に取材を進めていた」経緯を、包み隠さず明示しているからで
、これは、大事なことだと思います。

諸永氏の場合は、あれだけまえがきで斉藤へのリスペクトを書
いているにもかかわらず、週刊朝日でいっしょに仕事をしてい
たときの様子や息づかいが、少しも伝わってきません。斉藤氏
が、多くの先人のなかのワン・オブ・ゼムになっている。

参考文献をあげるというかたちでは、諸永氏のほうが先人にリ
スペクトの気持ちをあらわし、具体的な叙述の内容では、森氏
のほうが先人にリスペクトの気持ちをあらわしている、と思い
ましたが、いかがでしょうか。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


▼最後に、Iさんからの第2信と第3信をくっつけたもの。2
冊についての見事な定義と大事な指摘がたくさんある。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
メールありがとうございます。

あのメールでかきたかったことを一言でいうと、世の中は朝日
新聞社という権威と、フリーとの搾取の構図というのをとても
簡単に想像しますが、それってほとんど、オウム=気味悪い宗
教集団という図式と同じくらい定番コースなわけです。

今回は、名もないデータマン記者(諸永氏はあきらかに森氏よ
り無名)対、そこそこ名も売れ評価も高いジャーナリスト、と
いう構図で見ることだってできるわけで、そのへんを松沢さん
が指摘したことに私は「さすが!」と思ったのです。

全然一言じゃないや、、(笑)。

で、上記のことは、あくまでも視点のツボの話であって、
今回の一件がそうだといいたいわけではありません。
ただ、両方の本を未だ読んでいないという松沢さんが、
これほどの深い指摘をしたことに感動! したというか。


また自分の身に最近に似たようなことがあったので、つい諸永
記者になんとなく感情移入してしまったというのもあります。

前回のメールにも書きましたが、出版社の1回限りの数ぺージ
(時には半ページ!)の取材で、自分で調べ上げたテーマに個
人的な興味が尽きず、どこに発表する当てもないのにひたすら
それについて調べ続けてしまうことは私にとってはよくあるこ
とです。

それについて自分で余所の媒体で発表したくなったときに、も
ちろん取材のきっかけを与えてくれた編集部には一報を入れま
すが、ときにあきらかに「こっちが与えてやったネタを余所で
使い回そうとするなんて」という冷たい視線を感じるときがあ
ります。そのへんの権利関係は本当に曖昧なのです。

しかしこのような展開になるのはめったにないパターンです。

なぜなら無名のライターに追加取材を発表する機会などめった
に与えられないからです。

最近も、こちらが発表する予定もないのに調べ続けていたこと
を知っている編集者が、突然資料を貸してくれというので、何
に使うのだろうと思いつつ貸してしまい、何も知らされないま
まに、突然雑誌に、そのテーマで有名ライターが記事を書いて
いるのを発見したことがあります。それはとてもショックでし
た。

これが私の独自のデータなら抗議もできますが、それは、単な
る資料であって、集めようと思えば、大宅文庫にでもいけば誰
だって集められるものです。しかしそれすらせずに、あっさり
、地道にそれを集め続けて私に借りておいて、何の連絡もない
というのがショックでした。

自分に書かせないことを怒ってるのではなく、借りるだけ借り
て連絡すらないことに怒ってるのですが、このへんのツボはな
かなか当事者じゃないとわかってもらえませんね。

記事はその有名ライター氏でなくては書けないものと私も負け
惜しみではなく思いましたし、だからこそ、私自身も、「私に
なんで書かせない」と怒ってると思われるのがしゃく
で結局抗議できませんでした。

しかし一方で、こちらの署名記事で書いたり調べたりする仕事
に、同じように、いやそれ以上に努力し労力を使った人が、社
員であるというだけで、仕事に名前すら残されないという現場
も多く見ていて、今回の一件は、その両方の意味で、勝手に感
情移入してしまう事件でもあったのです。

松沢さんの意見にはとても共感します。このへんの慣習に違和
感を感じている人は多いと思います。自分がアンカーになる場
合だって、同様です。

そしてそのへんの曖昧さが、記事に何らかの問題が出たときに
、責任のなすりつけ合いになる原因にもなるのです。


> ただ、どうにも中途半端さが残るのです。
> 「新ネタ」(今回の件でいうならアメリカの要人取材)を取
材し、森氏に事前の相談なく週刊誌に出したときには、
> 「伊藤律がキャノン機関に使われていた」という内容だった
のですが、伊藤の遺族から抗議を受け、訂正を出している点で
す。
> そして、『葬られた夏』には、伊藤の話題は一言も出て来ま
せん。つまり、ウラとり不十分なまま、功を焦って出したとし
か考えられません。
> どうせやるならちゃんとやってほしい、と強く思いました。


内容については同感します。ただ、森氏も諸永氏も、結局は事
件の核心には至らずに終わっているわけで、これらの本は、「
下山病」を発症した2人のジャーナリストの記録ともいえるわ
けです。

森氏の本は、朝日との決裂がクライマックスにきているし、諸
永氏の本は、謎を追い続けてかなえられなかった若い記者のロ
ードムーヴィーのような印象でしょうか。

では「結局何もわからなかった」物語を、いかに謎を次世代に
つなげる形で効果的に描くか、という点でやはり優れているの
は、森氏の本だと思います。盛り上げ方がうまいし、面白いと
思います。
 

> あとは、やっぱり本を出すときは、一声かけるべきではない
かと思いますが、どうなんでしょうね?
> よっぽど関係が冷え切っていたのでしょうかねえ。
> そうも思えないのですが。

言うまでもないことですが、その点は私も全くそう思います。

双方のためにも、なんで一声かけなかったのだろうと思います
。森氏も本で、書いたことは責める気はない、声をかけてくれ
なかったのが、、と書いてますよね。しかしそういう重要なこ
とを忘れるでしょうかね。理解できません。

森氏の本には「まとめているというのは聞いていたが本にする
とは思わなかった」とありますが、「まとめている」というの
を知らせた時点で「伝えた」と朝日側は思ったのではないでし
ょうか。

それにしても知らせないのはおかしいし、ひどいと思います。
それこそが今回の問題の一番のトラブルの元なのだと思います
。


> (森氏が)参考文献をあげなかったのは、よくないですね。
> 案外、『葬られた夏』であげられているから、いいや、と
> 思ってたのかも知れません。

私は、この2冊の本を読んだ後に、斉藤茂男さんの「夢追い人
よ」を読みましたが、なんだぁ、と思ったことが多々ありまし
た。森氏の本を読んでいて、「へぇ〜」とおもしろく思った考
察が、すでに斉藤氏の本に書かれていたことだったりしたから
です。

つまり「ああ、これって森さんが調べたわけじゃないんだ」と
いうちょっと肩すかしをくらった感じです。

もちろん、それは森氏だけじゃなくて諸永氏も同様です。

つまり、あたりまえですが、過去に調べ上げられた事実とその
考察の上に二人の本は続いているわけです。本文中でも、抜き
書きする場合は引用元を書くけれど、事件の流れを整理する部
分までいちいち書いたりはしないですよね。

しかし、だからこそ、文末の参考文献の表示は、重要だと思う
のです。そうしないと、二人の著者が改めて考察したり取材し
たりした事実も曖昧になってしまうし損だと思います。

これは読む側の注意力の問題なのかもしれませんが、何も知ら
ないで読んだ読者は、まるでそれらの考察をすべて著者が考え
ついたかのような印象を受けてしまうことも多いと思います。

また私自身、今回2冊の本を読んだのがきっかけで、過去にさ
かのぼり下山事件について調べたくなりました。そのときに役
だったのは諸永氏の挙げていた参考文献です。これらの本を図
書館等で探し出して読めたことは、さらなる事件への興味を深
めるものでした。

私のように過去の文献を読みたいと思った人の中から、より新
しい展開を推理し発表する人が出てきてもおかしくないわけで
、参考文献の表示というのは、過去の先人にリスペクトを表明
するだけではなく、未来にこの事件をつなげるきっかけにもな
ると思うのです。
 

> 小生はどうしても森氏のかたをもつようなかたちに
> なってしまうのですが(^_^;)、本文の内容を読むかぎりは、
> 斎藤氏にリスペクトしているのは、森氏の方だと思います。

そうですか。やっぱり読み方は人それぞれですね〜。

私は、2冊の本を読んで、いくつかとても印象に残っている
違いがあるのですが、その代表的なものが、お二人の斉藤氏に
対する描き方です。

森氏の本に出てくる斉藤氏は、もう引退しちゃって物わかりが
よく、後輩に優しくアドバイスしてくれる老ジャーナリスト、
という感じでしたが、諸永氏の本では、最後の最後まで緊張感
を保って野生の眼を持っていた男、という感じが伝わってきま
した。

諸永氏が、取材源の連絡先を聞きたくてもぐっと飲み込むとこ
ろとか、「俺の集めたネタは、そう簡単には渡してやらないぞ
」いうあたり、さすが斉藤茂男、という印象で、この記者(諸
永氏)は、ホントに斉藤さんを恐れ、尊敬してるのだな、とい
うのが伝わりました。しかしそれもまた、著者それぞれのキャ
ラクターの違いによるものなのかもしれませんね。


> なぜなら森氏は、斎藤氏が亡くなるまで、
> 「斉藤氏といっしょに取材を進めていた」経緯を、
> 包み隠さず明示しているからで、これは、大事なことだと思
います。

しかし言われてみれば、これも大切なことですよね。
斉藤氏の遺志をきちんと伝えているわけですし。

竹山さんも書かれていますが、なぜに諸永氏はあそこまで自分
以外の存在を抹殺して「僕」ひとりの物語としてあの本を書い
たのかが、謎ですね。気になるところですね。


と、長くなってしまいました。

また、最後に一言。最新号で、竹山さんは、872号の「葬ら
れたのは誰か?」(その8)をわかりにくく書いてしまったと
反省しておられましたが、私は、今までのこのシリーズの中で
、前回のメールが一番面白かったです。竹山さんの意見が一番
しっかり伝わりました。

正直、最初の4回までは、私としては、パブリシティにしては
珍しく、「コピーペースト」みたいな記事だなあ(すいません
)と思っていました。

あらすじ紹介みたいというか。松沢さん参入以降が、やはり、
パブリシティの本領発揮という感じでしたね。

と、長くなってしまいました。

今後も楽しみにしています。

(Iさん、千葉在住、フリーランスライター)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/▼


「自由な言論」を発信するメールマガジン
「PUBLICITY」 編集人
竹山 徹朗

freespeech21@infoseek.jp(こっちにどうぞ)
freespeech21@yahoo.co.jp(こっちはもうすぐ消えます)


▲_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/


E-Magazine協賛企業


無料メールマガジン、メルマガ発行ならE-Magazine
パーティー・イベント情報サイト!パーティフル♪